八名信夫の うまいもん紀行
つくだに 天安本店 (東京・佃) |
俺は、白いご飯が好きだ。
最高にうまい米で炊いて。
おかずは、佃煮があれば良い。
佃の【天安本店】の佃煮。昆布、ほたての貝のひも。 あさり、えび、しらす…何を食べてもうまい! 全国に、佃煮はいろいろあるが、 【天安本店】の佃煮は、味がまろやかで、人情を感じる。 ご飯にのせて食べると、心がほぐれる。 今日も一日ご苦労さん、と そんな声が聞こえてくるような、そんな気がする佃煮だ。 |
東京は隅田川、佃大橋のそばにある【天安本店】は
瓦屋根の堂々とした店構えで、
「やっぱりなあ、天保8年創業の風格があるなあ」と、しばし見惚れてしまう。
その間にも、お客様が次々と入って行く。
ガラガラガラ。
戸を開けると、目の前に佃煮のショーケースが並んでいる。
「すいません、いかあられ200グラム、昆布も200グラム下さい」
「はい」
鎌田紀子さん、木下敏子さん、長谷川久江さんが
笑顔で佃煮を包んでくれる。
「いつも、お葉書いただいて。八名さんの出演する番組、必ず観てますよ」
そうだそうだ。知り合いの人に佃煮を送ろうとお願いすると、
「昆布を多めに、ですね?」「いつ頃先方にお届けしたら良いですか?」
と、一つ二つの僅かな注文でも、
明るく親切なお電話が来ると、うちのスタッフが感激していた。
【天安】の佃煮は、このお母さんたちの思いやりの心が
こもっているんだ。
長谷川さんが20年、鎌田さんが15年、木下さんが7年
明るく働き者の女性3人組だ。
量り売りで佃煮を買えるなんて、嬉しいじゃないか。
俺たちが子供の頃は、そういう店ばっかりだった。
【天安本店】に最初に行ったのは、15〜6年前カナ?
店の脇をのぞいたら、社長の宮本松之助さん自らが佃煮をつくっていた。
大きな鍋を、大きなへらでかき混ぜながら。
暑い夏。火を使って、汗びっしょりになりながら、
こつこつと佃煮をつくっていた。
「じっくり煮込んで、丁寧に煮込めば煮込むほど、おいしい佃煮が出来るんです」
そうおっしゃって。
この丁寧な仕事が、奥行のあるおいしい佃煮を作り出すんだナと
感動して、宮本さんの仕事をしばらく拝見していた。
この前、ある先輩に、小さな詰め合わせを贈ってみた。
映画が好きで、町おこしに頑張っている立派な先輩で、
「なつかしい江戸の佃煮。感激しながらいただいております。
天安の佃煮は、私の青春の味です!」
と、達筆な葉書が届いた。
この味は、喜んで下さる人に贈りたい。
≪佃と佃煮≫
【天安本店】に佃煮を買いに来た人の中に、
カメラを持って、近所を歩いている人たちをみつけた。
そうなんだ。
佃は、江戸・東京らしい風情が残っている街で、ゆっくり歩いてみるのも
楽しいと思う。
細い路地。家々の前には朝顔が咲いていたり、花や植木鉢が並んでいる。 夕方ともなると、家の前に縁台を持ち出して 男はステテコにダボシャツ。団扇をパタパタさせながら、将棋を指している。 それをのぞいて、なんだかんだと指図する近所の親父たち。 「これ、食べるかい?」なんて、近所におかずを配るおかみさんたち。 子供たちも、日が暮れる迄、外で遊んで走り回っている。 向こう何軒もが両隣りで、どこの家の子供のことも、 大人たちは知っているし、ちゃあんと「佃の街の心」を伝えている。 |
その昔、徳川家康公が江戸に幕府を開いた時、摂津国佃村(大阪市内、佃町)から
33名の漁民を、この島に住まわせて、魚を獲っていいから、
江戸城の台所のまかないもするようにと、漁業権を与えたそうだ。
400年以上も前のこと。この佃は、離れ小島で「佃島」と名付けられた。
島の人たちが小魚を煮込んで「佃煮」を作るようになったのだ。
駄菓子屋の店先で子供たちが遊んでいた。
ラムネ100円。懐かしい味がした。
真っ赤な橋の下に、小さな船が浮かんでいる。
その向こうには、高層マンションが幾つもそびえている。
銀座や都心に近くなって、佃に億ションが建つようになった。
でも、そのアンバランスな風景が、又なんとも言えず楽しいのが佃の街だ。
初めて街を歩いていても、「ああ、日本人だな、俺」と
ふっとなじんでいく。
天安本店
〒104-0051 東京都中央区佃1-3-14
03-3531-3457
http://www.tenyasu.jp/