八名信夫の うまいもん紀行


幸せの桶
桶重 (亀山市 関)

あれは、テレビの旅番組で「関」という宿場町を訪ねた時のこと。
昔の旅人が歩いた東海道を、俺ものんびりたどってみた。
江戸から明治、大正、昭和、平成へ。
だが、ここは、この町に似合っている時代を残して生き続けている。
昔ながらの家々が、中に入ったら床屋さんだったり、うどん屋さんだったり。
懐かしい看板をみつけてのぞいたら、昭和の初めの雑貨屋さんが営業していたり。
タイムマシーンで“良い時代”に紛れ込んでしまったかのような。
不思議な気分で歩いていた。

秋の日差しも気持ち良く、庭先の菊や紅葉も美しく。
忙中閑ありというか、旅のレポートをしながら、ゆったり楽しんでいた。
そして、ある店へ。
これが、俺にとっては忘れられない出会いとなった。

店の名前は【桶重(おけじゅう)】。
通りに向かって縁側があり、そこで服部さんが桶をつくっていた。
大柄、白いものが混じった短髪。
挨拶をしても、番組の収録の説明をしても、
「ああ」「いいよ」無口。頑固。
黙々と、太い材木の前で木枠を削っている。
若いスタッフは、居心地悪そうに準備をしている。
どうやったら、この親父さんが気持ち良く話をしてくれるだろうか?
俺も珍しく緊張した。

まず、親父さんのふところに入ってみよう。
服部さんの前の材木に近付いた。
桶の作り方を教わる。
ボソボソッと口を開く。
ぼくとつな口調の中に、板やタガ(桶の周りにはめる輪)、
道具類への愛情が感じられる。
堅い木や竹が、服部さんの指先で、丸く柔らかくなっていく。
タコの出来た指。ささくれだった指がかじかんで、痛そうだ。
丁寧に造られていく桶。ひとつひとつに服部さんの生命が込められている。
そう思ったら、無性に服部さんの桶が欲しくなった。

「服部さん、俺に桶をひとつ譲ってくれませんか?」
俺は立ち上がって、うしろに並んでいる桶を眺めて言った。
「これ、これが良い。風呂桶! これ、譲って下さい」
と、財布から金を…。
「いいよ。持ってって」
「いやあ、それじゃ駄目だよ。服部さんがこんなに一生懸命に造ったんだから」
じっと、服部さんの顔を見た。
と、服部さんも俺を見る。気分を害されたのかな? どきっとする。
「この人! 俺の桶を欲しいと言った!」
大病を患って、口もおぼつかない、指も思うように動かない。
「あんたが、初めてだ!」服部さん、やっとの思いで大きな声を出した。
「今まで、いろんな人がここに取材に来たけど、俺の桶を欲しいと言ったのは、あんただけだよ」
と、カメラに向かって、俺を指差した。
「いや、本当に気にいったんです。大事に使わせて貰います。譲って下さい」
「そんなこと言って」 服部さんはふっと笑みを浮かべた。
作業場に、突然陽が当たった。
と、服部さん、急に目の前の大きな木を触って。
「ここで、こうやって桶を造りながら、コトンと死ねたら、幸せだろうなっと思うんですよ」
途中からは、涙声で…。
頑固な親父さんが、ハラハラと涙を流して俺を見ている。
俺も、涙がにじんだ。
「うん…うん」うなずくだけで、声にならない。
ディレクターさんもカメラさんも、音声さんも、みんな肩をふるわせながら仕事をしていた。

(毎日放送TBSネット『道浪漫』で、良い出会いをさせていただいた)

【桶重】さんは、親父さんの技をしっかり受け継いで、義理の息子さんが守っている。
もし、店を訪ねたら、桶に花が活けてあるか、見てきて欲しい。
ロケの時、服部さんの桶に優しい小さな花が活けてあって。
あれはきっと奥様が、いつも服部さんを見守っていらしたのだろうと思う。

桶重
〒519-1112 三重県亀山市関町中町474-1
0595-96-2808


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