八名信夫の うまいもん紀行


こだわりの菓子のむこうに 人の味がみえる
栗菓子(いわま・小田喜商店) ひとつ鍋(六花亭)

子供の頃、俺たちは松茸を投げて遊んでいたもんだ。
岡山の山には、松茸がびっしり生えていたし、
当時はこんなに高級なものではなかったからナ。
でも、ガキ大将の俺でも、栗はぶつけなかった。
あのイガイガは 痛くて持てないし。ははは。

その栗の和菓子で、一番心に残っているのは
茨城県岩間町(現在は笠間市)の栗菓子だ。
小さい風呂敷に包まれていて、
風呂敷を開くと、ザルに入った栗菓子が出てくる。
その栗は、栗そのもの。
栗がそのまま菓子になっている。
小田喜保彦さんがひとつひとつ丁寧につくっている。

日本の栗の3割強が、この岩間地方で作られているのだそうだ。
モンブラン、栗汁粉、栗ようかん、栗きんとん…
日本一の岩間の栗の『栗やの栗菓子』。
今年の栗はどうかな?と、風呂敷を開く時が何とも嬉しい。


北海道帯広に、「ひとつ鍋」という最中がある。
講演で帯広へ行った時、お茶受けに出された。

形は、田舎の囲炉裏にかかっている鍋。
黒いつるが自在鍵に掛かっていて、
木の蓋がのっている鍋だ。
6.5cm×6.5cm

半分に割って、パクッと食べると、小豆の良い味がする。

そう言えば、帯広は日本一の小豆の土地。
その自慢の小豆の味を、自然にいかしたあん。
中に餅が2つ入っている。
ちょっと大きめだが、1ケや2ケはスルッと入ってしまう。

この「ひとつ鍋」は、明治16年、帯広開拓に入った依田勉三がうたった
“開墾の はじめは 豚と ひとつ鍋”
から名付けられたそうだ。

“開墾の はじめは 豚とひとつ鍋”
六花亭のしおりによると、
依田勉三は、伊豆の豪農に生まれ、慶応義塾・福沢論吉に学び
「これからの日本は、新天地を開拓することだ」
と、北海道の帯広へ同志と渡って来た。
ところが、今でこそ広大な平野が広がり、農作物も豊富な帯広だが、
当時は荒れ果てて、冷害不作、山火事と、何をやってもうまくいかなかった。
余りの貧しさに、仲間たちが絶望しているのをみて、
“開墾の はじめは 豚とひとつ鍋”
俺たち、ひとつ鍋で開墾を始めたじゃないか、力を合わせてひとつひとつ
前に向かってやっていこう、
と、このうたをよんだそうだ。

そうだナ、俺たちも忘れていることが多いかも知れないなあ。
“はじめは 豚とひとつ鍋” ひとつ鍋なんだ。
この最中ひとつで、ふっと気持ちが引き締まった気がした。

六花亭の包装紙。北海道の草花が描かれている。

【六花亭】さんは帯広のお菓子屋さんで、
帯広・北海道にこだわって、菓子づくりをしているそうだ。
だから、どんなに人気の菓子でも、北海道にしかおいていない。
それも千歳空港や札幌・函館、観光地でも、限られた商品しかおいていない。
「ひとつ鍋」は、本社に直接頼まなければ食べられない、かも知れないな。

他に
「らんらん納豆」…かます(って分かるかな?)に入った大納言小豆の甘納豆。
昔はこうやって小豆を送ったんだなってわかる。
かますに縄をかけて検票もついている。
「マルセイバターサンド」…一番有名。ビスケットにバター、レーズン、ホワイトチョコをはさんだ。
「十勝日誌」…六花亭の代表菓子を、安政5年(1858年)頃の本に詰めたもの。
その頃の帯広を書いた紀行文だそうだ。
などなど、つくっている人の思いが伝わって来る。


株式会社 小田喜商店(栗やの栗菓子)
〒319-0203 茨城県笠間市吉岡185-1
0299-45-2638
http://www.kurihiko.com/

六花亭
〒080-2496 北海道帯広市西24条北1丁目3-19
0120-012-666
http://www.rokkatei.co.jp/


「八名信夫の うまいもん紀行」
「悪役商会ホームページ」に戻る